2020/11/26

(うとQ世話し 誰にも分らない、けど

「食べに行けない」「飲みに行けない」「旅行に行けない」「映画やコンサートにも行けない」

早い話どこにも楽しみや息抜き、発散の場がない。

「仕事にも行けないからお金がどんどん減っていく」

「職場に行けないのは嫌な奴の顔を見ずに済む反面、会って話したい人にも直に会えなくなるので、それもツライ」

「結果、家の中に巣籠りを強いられるが、その家の中も今や安全ではない」

となれば一体どうすればいいの?となります。

時短、自粛も必要性は十分わかりますが、それが一体いつまで続くのか?

或いはあと何回繰り返されるのか?

「一番知りたいのはそこ」なのですが、これは現時点では「誰にも分らない」

英語で言えば

no one knows

言い換えれば

Only God knows

即ち「神のみぞ知る」

で、どこかの大臣様がそう口にした事で大騒ぎ

「責任ある立場の人間が口にする言葉か!! 無責任極まる!!

と。

冒頭の状況を考えれば、そう声を荒げたくなるのは尤もです。

しかし同様に大臣様とて人の子。そういわざるを得ないのも是また御尤もでしょう。

となればいよいよどうしたらいいのか?

分かっていることといえば「もはや誰をもあてにできない。自分の安全を100%保証してくれるものは何処にも存在していそうもない」という事くらいでしょうか。

「ならば自分の身は自分で守るしかない」

というのが一般的に言われる「解」でしょうが、でも、それはどうやったら獲得、達成、入手できるのか?

思うに、こんな時こそ逆転の発想、敢えて対極を置いて、その解を見出すトライアルが必要な気がします。

では、具体的にそれは何なのか?

一言で言うと

「誰かに守って貰うのではなく、誰かを守れ」

という事です。

何の事かといえば

誰かに守って貰おうとすると相手と自分の差から全てが二段仕掛になり、対応が後手、後手になります。

しかし、誰かを守ろうとすると常に自分が「一番目の当事者」になるので時間ロスが減り、緊張感と情報量、活動量も上り、結果、自らの罹災回避確率が上昇します。

加えて自ずと「本人が活性」し、人も助かる。

「大変だ、大変だ、自分は被害者だ」というのも可能ですが

「分かった、分かった、ここは自分が何とかしよう」

と敢えて当事者になる事で罹災回避確率を上げる。

何故なら

「好事、魔多し」の対極で

「悪時、魔少なし(逆境時、魔退散)」

もこれ又「常」

故に一歩前に出た方が、却ってサバイバル率が上ると思っております。