2022/5/23

(うとQ世話し さて、whatshould we do?)前作書き直し

何故英語が世界の公用語になったのか?

英語圏国家が現在世界の覇者であるから?

嘗て大英帝国が世界を植民地化しその母国語が英語だったから?

確かにその面は否めません。

しかし幾ら英語圏国家が政治経済的に優位であったとしてもそれだけで公用語になるとは思えません。

何か他に理由がある気がしました。

それで思い当たったというか、英語を話す様になって実感したのが

「英語は一番汎用性に富み、話者の発想で如何様にも新たに作り出せるフレキシビリティを持っているから」

という事でした。

どこの国のどんな教育レベルの人も話し始められる取っ付き易い言語。

例えば

I go(過去形はwent

是を

I went through and up, down and throughagain then went more further.

goの過去形wentの後に思い付ですがずらずらくっつけてみますと

「私は通り抜けた後、上がって下がって又通り抜けてそれからもっと奥に進んだ」

という即席の文章が出来上がります。

英語はイディオムをわざわざ覚えなくても話者の機転で連想想起的に幾らでも作り出せる言語なのです。

そして今日の本題はここから。

処が我が国の英語教育にあり勝ちなのは

「是を丸ごとイディオム(暗記文型)化してしまう」

例えば上述の文章のupdownの順番が入れ替わっただけで、

「また別のイディオムを発生させてしまう」

傾向です。

以上は極端にデフォルメした例えですが現実には是に類した事が我が国の英語教育では頻繁に起こっております。

是では学ぶ側は覚えるだけになってしまい、いい加減ウンザリしてしまいます。

「一体英語は幾つイディオム(暗記文例)を覚えにゃいかんのだ?」

少し違うかもしれませんが、是は丁度外国人が

「英語はアルファベット26文字だけ覚えればすむのに日本語は平仮名、カタカナ、当用漢字、しめて2100が基本文字数。一体いくつ覚えればスタートラインに立てるんだ?」

全てローマ字表記にすれば26で済むものを何が何でも2100文字の「フル暗記スタート」を押し付ける。

確かに正しくはあるのですが、

「語学はコミュニケーションの道具であり出来るだけ使い勝手を良くすべきものである」という本来の趣旨から見れば阻害要因にしかなっていません。

この厳格主義が

「日本語の語彙数と同数だけ英単語が11で存在し暗記せねばならぬ」

という珍説拝礼を生み出します。

英語は「核になるイメージだけ決まっている言語」です。

一々個別固有のジャストな適格単語を覚えなくても動詞に前置詞(=動詞方向付ガイド機能(詞))を付加えるだけでさえ幾らでも語彙を増やせるのです。

反対に言うと英語を母国語にしている外交官は大変です。

日常生活では極めて汎用性に富み大まかですんでいた言葉を外交会議の席上では逆に「ジャストな的確英語を見つけて使わなくてはならなくなる」からです。

そして適格適語思考に満ち溢れた我が国ではこの外交会議の適格適語英語のみを「唯一正しい英語」として鼻から押し付けてきた明治維新後150年。

Then, what should we do?

 

2022/5/22

(うとQ世話し 3週間投稿記事が書けなかった事で生まれた「瓢箪から駒」モドキ)

「もはやおいしいだけじゃダメだ。何か新しいものを生み出さないと」

それが前回、もう3週間ほども前になりますが「うとQ世話し」の結論でした。

その具体的な方策として

   教科書ができる中身ができた。

   外国人従業員の子供たちが本国からやってくる。

   我が国の若い人たちも「肩書やお免状」よりも「中身だ」とうすうす気づき始めている。

等の諸要因から

ならば4年と少し前に構想を抱いた「国際間、世代間、たまたま隣に居合わせた人との交流事業」の具体形として「カリーを食べながらへたっぴぃ同士教えっこしあう」

「英語教室」を始めようというお話で締めくくらせていただきましたが、3週間字が見えにくい理由からほとんど投稿をしない間に自分の心の中での具体策が変わってきました。

それは

Easily understandable and speak-ableJapanese Language school

(邦訳:分り易く喋り易い日本語教室)

つまり日本人に英語を教えるより先に外国人に日本語を教えようと、順番を逆転させるに至ったのです。

それは何故か?

その答えは

「日本人が英語を話すことを必要とするより外国人が日本語を話せることを必要としている度合いが遥かに強い事」を身に染みて感じたからです。

そして

「彼らは食らいついてくる」

からです。

われわれ日本人が抱きがちな英語学習の深層目的「英語を話せるとインテリに見てもらえるとかカッコいいから」といったようなもので自分が納得いかないものだからです。

彼らの目的は偏に「生活の為。生きていく為。生き抜く為」という極めて切実なもので自分も納得できるものだからです。

なので、

「先ずはそれ応えるのが当事業の本姿であり自分の趣旨に副うものあろう」

という事に。

しかし何を指してEasily understandable andspeak-ableと言っているのか?何が今までのNPOなどの日本語教室と違うのか?

それは、

   日本語検定2級などのライセンス取得を第一とせず、実際に「話して暮らせる」事を第一義とする。

もっと絞り込んだ言い方をすると子供を起業家として育てる(語学習得に関しては、雇用希望者には日本語検定2級が求められますが、起業家は話すスキルとノウハウというactual があればいいだけだからです)

   字ではなく音から入る(具体的には平仮名、カタカナ、漢字と分けずにすべてローマ字表記から入る)

   全て原義から入る(何故そういう謂い方をするのか?その字はどうして生まれたのか?等、日本人の発想法や文化を教える)

等です。

むろん日本人向けの英語教室を諦めた訳では毛頭ありません。

何しろ最後の目的の一つには「多くの日本人が英語を話せるようになる事」をも掲げているからです。

しかしこちらは現時点ではskypeyoutubeではなく対面のskype形式)を用いたオンライン授業にしようかと考えております。

2022/5/3-2

(うとQ世話し オマケの英語教室リアル版開設準備)

先にご案内しました白内障の手術は既に終わっているのですが白濁した水晶体の代わりに埋込んだレンズが単焦点で一点以外は焦点が合わず、もう片方の目には更に黄斑変性症が発生しており視界の中心に白球があってその向こう側が見えない等様々な事情から未だ長文を連続的に書くには至ってはおりません。

取り敢えず9日に可変多焦点の仮眼鏡ができてくる事になっており片方の目だけは自由が利く様になりますので其の辺りから投稿を再開したいと思っております。

以上は愚痴交じりの余談。

ここからが本題です。

今を遡る事4年と少し前、ネパール料理「ナマステエブリバディ」を開店致しました。

その時の事業コンセプトが

「国際間、世代間、たまたま隣にいる人との交流事業」

というものでした。

是に従いカリー店の隣に「すすきの留学」という英語教室を同時に開設し

謳い文句を

「カリーを食べながら語学を学ぼう」「日本語が下手な外国人と英語が下手な日本人のへたっぴぃ同士で教え合いっこしよう」

と致しました。

しかし結果は鳴かず飛ばず。

そうこうする内にコロナ禍襲来やインフレ到来で英語教室スペースは買いだめ食材の倉庫に。

しかし行動制限は解除されたにも拘らずコロナ禍以前の需要は戻っても来ません。

それらをつぶさに目撃した後に中身を細かく観察し

「みんな外食を止め始めている。安い食材や少し高いレトルトを買ってきて更にひと手間加える等多かれ少なかれ自分で調理をし始めている。食事の為だけにレストランに来る回数は激減する。旨いだけじゃ最早存在価値はない」

という結論に至りました。

以前コロナ禍による売上減少打開策としてカリーとは全くジャンルの違うメニューとのコラボ等を模索しておりましたがそれだけでは全くの力不足の様な気がしてきました。

処が本日「焦点の合わない世界が鬱陶しいので最近増えていた午睡」から覚めると、

唐突にある考えが浮かびました。

「あれは時期早尚だったのかもしれない。4周回遅れの今こそ、その機が到来したのではないか?」

「その機」というのは「国際間、世代間、たまたま隣にいる人との交流事業」に基づく「カリー屋に併設した英語教室の(再)開設時期」

   教材が出来た(オマケの英語教室記事集「前座の英語」読本)

   外国人側生徒が出来る(外国人従業員が母国の祖母に預けてきた子供達を我が国に呼び寄せる事になった)

   我が国側生徒が出来る(今回の災禍を経て学歴、肩書よりも実質、中身を重視する子供たちの意識の変化)

   その芽を今迄摘んできた我が国民側の国際間、世代間、隣人間の交流最大阻害要因が見えてきた(何よりも体裁、見た目、肩書中心の「名詞文化」=対局は●●をするという「動詞文化」)

   そして案外みんなが求めているのは「灯台下暗し」の「情の「動詞的」交流」なのではないか?

等。

なので、眼鏡が出来次第その準備を始めようかと思っておりまする。