2021/10/19-1

(うとQ世話し 隠された目的の清算 上)アウフヘーベン書直し

25歳の時、生まれて初めて小説を書きました。

題名は「リーズナブル・アクター」

その当時、語彙がそれしかなかったのでそう名付けましたが真意は

「日常生活で無邪気、自然体を装いながら、緻密に計算し尽くした芝居を演じている役者資質の卑怯者物語」と云う意味でした。

幼い頃からそんな処があった「自分の不実」を題材にした処女作でした。

突然今になって何でそんな昔の事を書くのだと思われるかもしれませんが、自分の中ではそれ以来、いや生まれてこの方、常に「自分は本心を隠していつも芝居をしているのではないか」という疑念が頭から離れないからです。

あれ以来40年以上が経った今も同じなのです。

そんな眼で前回の記事を見返してみると、或いはこの二年近く書いてきた「サバイバル日記」を通観してみると

「大変な目に遭っているという話こそ実は「おいしい話」として仕組んできたのがこの日記だったのではないか」という疑念が湧いて来るのです。

もしそれが真実だとするとこの「ナマステエブリバディ劇場」で舞台装置として宛がわれた従業員は大迷惑この上なしです。

是だけでは何の事か分からないと思いますので今少し順序立ててお話し申し上げます。

まずアウトラインを抱いて戴く為に非常に簡単な喩え話をしますと

「人は他人の成功話としくじり話を聞いてどちらを喜ぶか?」

「頭のいい奴と多少脳天気な奴のどちらの傍にいた方が、気が置けないか?」

と言う事です。

それを第一の価値観とし、それがもたらす「最後にピークがやってくる9回裏逆転満塁ホームランや聾唖になってすら第九を生み出したベートーベンのそのテーマ「苦悩を通して歓喜に至れ」の壮大なる感動絵巻の完成」が「隠された真の目的」だとすればストーリー前段の「馬鹿な失敗」位おいしい話はなく、

「どん底だ、悲惨だ、いつ迄経っても芽が出ない」と言う裏で「着々と隠された目的を達成している満足感」から更に余裕が出、

その余裕が「この期に及んでのあの落ち着き。相当な大物かも」という副産物まで付いてくるとなると「おいそれとは成功出来なくなって」仕舞います。

それで成功直前で「敢えての失敗」を挿入して成功を先延ばしに。

すると又々「あそこ迄の不運も珍しい。だのに平然としている。益々持って大物かもしれない」と評価はうなぎ登り。

そしてそれを耳にして楽しむ生活。

しかし是は自分に取っては密かな大成功ですが成功を先延ばしにされて苦労している従業員は堪ったものでは在りません。

ボスは苦労しているのだと信じて疑わず身を粉にして働いてさえいる訳ですから。

是はもう完全なる裏切りです。

このボスは正真正銘「根っからのズル」です。

そうしてその不実者が自分だと気づいてしまった。

いや、薄々は気づいていたズルを目の前に突きつけられ、

最早これ以上見て見ぬ振りが出来なくなってしまったのです。

(続く)

 

2021/10/19-2

(うとQ世話し 隠された目的の清算 下)アウフヘーベン書直し

しかし是はコロナ禍以前の自分の問題。

コロナ禍を経験した自分にはそれに加えて新たな問題が上積みされました。

問題がコロナ禍を挟んでの連立二元方程式になってしまったのです。

二元の内の第一、コロナ禍以前の問題は自分のストーリー優先だった点を改め、従業員の生活安定を最優先して「サバイバル日記」主体の生活を止め、経済活動に専念する事で解を得られるかもしれません。

しかし今回積み上がった二元目のコロナ禍経験以降に急浮上した深刻な問題は、

「コロナ禍を招いた主因であるそれ迄の経済活動に単純に復帰する事は、とりもなおさず更に地球環境を破壊する事になるという相反利害関係をどう止揚するのか」

という我々人類存続の可否に関わる超絶難解なものでした。

平たく申せば

「ボス、お遊びは止めて(コロナ禍前の様に)家業一筋に専念して下され」と発破を掛ければ済むと言う訳には行きそうもないと云う事です。

単純に元の生活に復帰や回帰するだけではどうも済みそうもないと言う事です

「儲けて元気を取り戻す為には活動エネルギを最大限抑えないといけない」というとんでもなく妙な事態になっている訳です。

「成長するには抑制が必要だ」と是迄の常識概念からすれば無茶苦茶な事を言っている訳です。

「人間が力一杯活動して吐き出すのは二酸化炭素ではなく酸素にしなさい」

位のコペルニクス的転回レベルを要求されているのです。

こんな無茶苦茶な要求をされるのは人類史上我々が初めてでしょう。

彼のネアンデルタール人もアメリカ大陸のコロンブスも蒸気機関のワットも飛行機のライト兄弟もそんな事を言われた事はなかったでしょう。

兎にも角にも我々が初めてなのです。

当然誰も「解」を知らない訳です。

そういう意味では我々は平等な位置に立っているのです。

格差拡大の時代にこの「平等」は何という皮肉でしょう。

しかしそんな評論をしている暇はなさそうです。

将に今の我々にはそんな言葉遊びをしている暇は。

ですが「急がば回れ」にも一理あります。

無責任な評論はノイズでしかありませんが回り道であっても十分な議論(知恵を出し合い磨き合う事)は必要でしょう。

しかしその議論を主導する人達の内心の奥底に潜む「隠された目的」が、意識するしないに拘わらずコロナ禍以前同様「自分の都合」であれば求める「解」は決して見つからないでしょう。

代わりに

「成長するためには抑制が必要だ」

という無茶苦茶な要求を達成するには故事に倣い

「成長し伸びる(実る)程、地球に対して頭を垂れる稲穂になる」

が解の傾聴すべき重要なヒントになるかもしれません。

一介の零細企業主が何故こんな事を気にするのかと申せば、

夫々が「隠された目的」をきちんと清算して本来の目的に回帰しなければ


自分の身上にも地球上の我々の将来にもこの先とんでもない事が待ち受けている絵姿がはっきり見て取れるからです。

2021/10/17

(うとQ世話し 終了のお知らせ)

思うところが御座いまして「ニューノーマル探索サバイバル日記」の発刊を、今月10月をもって中止することに致しました。

その辺の事情につきましては明日1018日の「うとQ世話し」の2記事(前編、後編)でご説明申し上げさせて戴きます。

皆様に於かれませては2年に近い長い間のご購読、誠にありがとう御座いました。

心底より感謝申し上げます。

 

尚「前座の英語」につきましては今後とも発刊を継続する予定です。

又この記事の「うとQ世話し」は別の形で単発に書くことを予定しております。

 

うときゅういっき

2021/10/15-1

(うとQ世話し そもそもの 前編)

9月末に緊急事態宣言や蔓延防止措置(条例)等が解除されはしたものの、コロナ感染が終息したのかまだ年末に向けてぶり返しがあるのか誰にも分からない現在。

分かっているのは従業員の感染リーク以来(現在は既に復帰)それ以前との売上比較で10%のダウンが続いていることとネット上で出している電子書籍が全くの鳴かず飛ばず状態で、それが売上減の穴埋め役としてまるで機能していない事態が常態化している事だけ。

それを踏まえて今後の身の振り方を

「さて、どうしようか?」

と考えることが多くなった昨今。

このような場合、自分がよくしてきたのは

「そもそも発端は何だったんだっけ?そもそも何をしようとしていたのか?何をしたかったのか?」

と言う自問自答を繰り返す脱出作戦の敢行。

ところが今回の様なビッグイベントは初めてなので、一体どの辺りまで遡ればいいのか見当が付きかねております。

起業時まででいいのか?

それとも社会人になった辺りまでなのか?

はたまた物心ついた辺りまでなのか?

(自我が芽生えた頃という意味です)

さて、何処が一体「そもそもの発端」なのか?

こういう場合、つまり迷ったときには一気に大本の元まで遡りたがるのが自分の性分なので物心ついたときまで遡ることにしました。

で、直上の「性分」という言葉から思い当たったのが

「何でもゼロから始めないと気が済まなかった」なぁと。

それを説明するのに以下(次の記事)で記載を致しますが「こう言う書き方をしたらまず間違いなく読んだ人から反感を買うな」と思いつつも、それを覚悟の上で敢えてしたためてみたいと思います。

なぜならそれは事実だったからです。

反感を予測して無難に丸めて書いても仕方がないと思ったからです。

(続く)

 

2021/10/15-2

(うとQ世話し そもそもの 中編)

まず、自分は子供の頃友達から「お金持ちの子」と言われるのが嫌でたまりませんでした。「何故貧乏な家の子に産んでくれなかったんだ?」と何度も心の中で親を恨んでいました。

というのは、お金持ちだと「ゼロから始められない」からです。何をどんなに努力してやっても「お金持ちの子だから当然だ」と見られるのがどうしても納得がいかなかったからです。だったら鼻から「そんなハンディ」のない貧乏な家の子に生まれた方が良かったなぁと云う理屈でした。

社会人になった時も「偉いさんの息子」と言われるのが嫌で、身の上をひた隠しに隠しておりました。ところが直接の上司が隠している身の上を周囲に漏らしている事を知り、知った自分は新入社員にも拘わらず、その上司の机をドンドンと叩く程の猛抗議をしたこともありました。

コネで入っておきながら虫のいいこと言うなという非難を受ける自覚があるので先に申し上げます。

幾ら親が心配からした事とはいえコネで入るのは自分の性分が許さないし、第一そんな大組織の中に入りたくもなかったので親の顔をたてて面接だけは受けましたが敢えて落ちる様自爆モードで臨んだ最終面接で、あろう事か他の役員全てが反対したのを押し切って最上位の役員が「面白い奴だ」と採用してしまったのです。

そうして最後の起業時。

性分の合わない処でなまじ出世して仕舞ったのが誤りの元でした。

結果うつ病になり、左遷、リストラ、降格と転がる坂を転げきってお払い箱同然になりました。そうして最後に思い至ったのが

「今生は一回限り。ならば自分の性分に合わせよう」

そうしてそこから

「この大組織の金看板の外で出て、その目に見えない「マジカル後ろ盾」のない自分だけの素力、裸力でやっていけるんだろうか?

一社の為だけに役立つスケール観でいいのだろうか?」

という考えが浮かんできました。

それでその当時、何となくおかしくなりつつあるように感じられた「社会を変えてみたい」

と思うようになりました。

その為には「多忙で耳を貸してもらうことが出来そうもない現役層」を第一ターゲット候補からまず外しました。

その代わり、その周辺や辺境にいる「現役社会に入る前の学生さんや、現役社会の檜舞台からフェードアウトした退職者、その時代にはまだ現役社会ではメインにはなり得なかった在日就労外国人、更には会社在籍期間中、まさに自分の身の上で起こったうつ病等で社会や会社からドロップアウトせざるを得ないような我々辺境人達」の方がひずみを感じるアンテナが高い可能性があると考えの駒を進めました。

そして「起爆剤になるならこの層だろう」と予測し「であるならまずは自分の身の上を活かして」とメンタルヘルスのコンサルティングを始めたのが7年前の事でした。

それまで在籍した会社の分野とは全く何の縁もゆかりもない分野でのスタートでした。

(続く)

 

2021/10/15-3

(うとQ世話し そもそもの 後編)

直近では在日就労外国人への支援と交流を目指す事業として、直前記事既出の4者を俯瞰した自説「就業期間社会」相関図から生まれた具体的な事業ビジョンである「国際間、世代間、たまたま隣にいる人とのコミュニケーション事業」の中の、当初一番疎遠かもしれないと思われた「国際間コミュニケーション」事業に、ひょんなきっかけが元で着手し、今ではそれにかかりっきりになっております。

但し、創業(設立時ではありません。下で説明)の取っかかりであり現在かかりっきりでもある生業(なりわい)は飲食店なのですが、その範疇に収まりきれないものとして、当座の最終目的を視野に、電子出版事業、教育事業、在日就労外国人支援事業の組み合わせという新しい形の業務形態の取っております。

しかしその芽が出ない。

会社「設立」以来7年。

飲食業「創業」以来4年。

電子書籍、教育、外国人支援「開始」以来3年。

これだけ色々トライし、且つ長期に渡ってもまるで芽が出てこない。

矢張り何かがおかしいに違いありません。

上記の時系列年表を見ると経過後2年でしかないコロナ禍のせいではないことがはっきり見て取れます。

「スケール観が大きすぎて的がぼやけている」からか。

「ゼログラウンドのゼロに未だまるで未達の中途半端」だからか。

狙いはいいが「機、未だ熟さず」というだけなのか。

或いは「全部が全部」そうなのか。

考えれば考えるほど混乱は増すばかり。

それで「こういう時こそ初心に戻って今一度」と思い

「そもそもの発端、目的はなんだったのか?」

「表出(当初)の目的と内心(現下)の目的に違いが生じていないか」

「当初の目的に対する現下の実際の振る舞いが合って居ないのではないか(途中から何かを勘違いし始めていやしないか)」

この問いをつかず離れず諦めず、執(しゅう)ねく問う事に致しました。