2020/10/24

(うとQ世話し 「快適」の「適」が外れた!!)

生き物の行動は「生存と子孫維持」の為のものです。

「快」を得るために狩りをしたりはしません。

ところが生き物の端くれである我々人間の行動は、お金、地位、名誉、人気等、子孫維持はともかく単に「生存」を目的とするのとは少し違ったものになっているようです。

冒頭で申し上げた、生き物がしない「快」を得ることが行動原理になっている場合が多々ありそうです。

実感的にお分かりかと思いますが「快」とは苦と楽の落差が大きいほど強く感じるものです。卑近な例で言えば「うだるような暑さの外から帰宅して冷房の効いた部屋に入った時」から始まって「食うや食わずの生活から突如億万長者になった」時とか。

しかし、ふつう我々は「より強い快」を得るために、わざわざ苦から始めたりはしません。せいぜいやっても「御馳走を戴く前の二食を抜く」くらいのものです。

となると、何が起こるかといえば、今既にある「そこそこ、の快」からスタートして「強い快」を感じられる段差分上位にある「とんでもない快」を求めるようになります。

「とんでもない」という形容詞が付くからには、それ相当な行動(エネルギー放出)を要することが推測されます。

例えば、おなか一杯になるだけでは満足できなくなり、何処々々産の何々品種でないとダメだとかいうことになり、結果それを求めて山奥に取りに行くような事態が発生するわけです。

そうした結果、パンドラの箱を開けてしまう場合が出てくるようです。

仮に、の話ですが、どこの国によらず、普通生活している分には絶対に振れることのない山奥の洞穴の「蝙蝠の糞」とかに。

そうして未知なる微生物(?)が人間界にもたらされ、災厄を招くことになる場合もある。

もちろん自分も人間の端くれですから「快」は大好きです。

しかしそのどこが問題なのかを、非常に簡単に申し上げれば

「快適の適(適度、適切)の箍(たが)が外れて、快だけになってしまったための災厄」と言えないこともないような気がしております。

勿論食い物屋のオヤジが食い物を例に例えた私見、ではございますが。