2021/12/8

(うときゅういっきの「これから」新刊本のご案内)

●案内文

コロナ禍同時進行執筆

ナマステ別館堂主人

「ニューノーマル探索サバイバル日記」

の中で

ニューノーマルという前にそもそも我々(或いは自分)にとっての「ノーマルとは何を指しているのか?」を本題探索の前の基本的な問いかけとして設定致しましたが本題を探る中で次の様な事が分かって参りました。

即ち

●状態は一時も止まらず常に変化している事

●その中で危険や問題も常に存在している事

●コロナ禍はその内の一つに過ぎない事

●コロナ禍をクリアしてもその脇で新しい危機や問題が既に進んでいる事

●なので一時も気を抜けない事

●それに備える為にはフットワークを軽くしてフレキシブルな状態にしておく必要がありそうな事

●上記の為の具体策としては周りのフェンスを下げる事。

 (フェンスを下げれば鉄砲玉は入って来易くなるが逆に新鮮な空気と機動性を格段に手に入れ易くなる)

●そしてそれを可能な限り続けゴールを余り意識せずに「行ける処まで行ってみよう」というスタンスに変える事。

何故ならゴール迄「後残り幾らという負荷」を感じなくて済むから。

 

そこで、常に存在する新たな危機や問題に対してコロナ禍だとかニュー(ノーマル)だとか言った区切りを敢えて取り払う為に

「線路は続くよ、何処までも

    野を越え山越え谷越えて」

と言う題名を付ける事に致しました。

話は少し元に戻りますが元々の題名は「義憤」発「紆余曲折」経由「合地球的成長」方面行き

と言う長ったらしい題名でした。

それを元に一旦は

河は蛇行した末に海に出る

「これから」

としたのですが自分にだけ分かっている自己満足な題名の様な気がして止めました。

その代わり本書巻末記事で「義憤」を扱い未だ「合地球的成長」の具体策が見つかっていない事から真ん中の「紆余曲折」をイメージした題名である

「線路は続くよ、何処までも。野を越え山越え谷越えて」

に致しました。

 

(注)表紙の写真を採用したのは道なき処に道を切り開いて進む「西部開拓者魂」(frontier spirit)をイメージしてです。

「自分へ」の単独イメージとしてではなく「我々、地球上の一生物である人目人科の」共通イメージとして、です。

勿論我々の前に立ちはだかる難問山積を「これから」我々自身が自らの手で切り拓いていく為にです。

人間の事だけ考えていればいい時代は終わりました。

是からは人類と地球の事を同時並行的に考えていかなくてはならない時代に変えなくてはなりません。

そうでないと我々はこの地球上で「種」として生き残っていけませんから。

●本編その2では「同調圧力」「デフレ」や「恥」を書いてみました。

 

●発売日:12/11

●書名:「線路は続くよ、何処までも 野を越え山越え谷越えて その2

●販売場所:アマゾン電子書籍kindle

●定価:500

●無料購読キャンペーン:

12/11 pm 5:00より

5日間限定実施

●著者名「うときゅういっき」で検索。amazon kindleページに飛びます。

うときゅういっき 

2021/12/7

(うときゅういっきの「これから」将にこれから)

同調圧力からの解放を成し遂げやっとこさ良いエネルギー(活力)を発芽発散放出出来るようになったとしても、その発芽発散放出自体が今の経済的成長という形を取って逆に我々地球の自律的メカニズムに相反し、最後は排斥される可能性が不可逆的に高まるのだとしたら?

実は是まで述べてきた同調圧力の問題とはこの地球との相反利害関係を考えるための「イントロ」にしか過ぎませんでした。

我々は今まで余りにも長い間問題の解決をサボってきたつけが回ってきたような気がします。

その為幾つのも、しかも相反する解決策を同時に見つけなくてはならない羽目に陥って仕舞った。

しかしそれは今まで自分たちが繰り返してきた不見識、詰まり時間軸を取らずに恰もその瞬間しか存在していないと言う誤認識からの「二者択一」(二カ所同時には存在し得ないと言う物理法則の当て嵌め方の間違い)ばかりの選択運用。

しかし時間軸さえ取れば、詰まり時間差を視野に入れるという認識方法に変えれば、相反する物でも時を置いて対極の存立が可能になる事に着目し、あと先の順番(大状況が小状況を規定するの順番)さえ間違えなければ解決策が見いだせないこともないような淡い期待を抱いております。

但し、問題なのはその時間軸がとれる、将に「時間」的余裕が在るかどうかです。

今時点で最低限言えそうなことは

「今の経済的成長概念を止めて、人類地球共存存続概念にまずは切替え、その後(今は未知数の)新たな成長概念を火急的速やかに(可及的にではなく、です)見いだす必要に迫られている。赤く焼けた短刀を突きつけられている脅迫的崖っ縁後無し状況」

と言うことでしょうか。

兎に角時間がありません。

今必要なのは、まずその認識でしょう。

将に「これから」がその正念場でしょう。

後記)

来年発刊予定の次回新シリーズでは、性根を据えてその問題に取り組んでみたいと考えております。

以上

 

2021/12/6-3

(うときゅういっきの「これから」同調圧力 その諸相と正体)

型(形)を重んじると言う事は「外枠」が決まってしまうと言う事と同義です。

限られたπの中で、しかも同一系向による一極集中の混み合いの中なので争いは激化し、お互いの足の引っ張り合いが始まります。

他人(競争相手)の抜け駆けや良い方向への突出は絶対に許されず直ぐに自らと同列の地点に引き戻されます。

それが正義であるか否かとは全く無関係です。只自分より先に進んでもらっては困るという理由だけです。

或いは又、抜け駆けはともかく良い方向へでもそれが突出であるなら日々慣れ親しんだ適温常態やフォーメーションを崩し不安を与えると言う理由で丸め込まれてしまいます。

そして更には「人間は皆同じだから」と言う理由や、それでも未だ列を出ようとすると今度は「KYな奴」攻撃が加わりとにもかくにも猛烈な同列への引き戻しが起こります。

話は少し逸れますが外国の教育では

「人は皆違っているから(差があって争いが起き易くなるので、それに注意をして)仲良くしなさい」

と教わるのに対して、我が国では(その違いや差がなかった事にして)

「人は皆同じ(筈)だから仲良くしなさい」

と教そわります。

詰まり元々の根底概念と発想法が「同質指向」なのです。

確かに指の付け根の共通部分である手のひらがなく個別分岐の指の部分ばかりでは手がバラバラになって物がつかめませんが、手のひら部分ばかりで指の部分がな射場居合いでも同じく物を掴む事は出来ません。

最近外国では指の部分の主張が強すぎてバラバラになっている様ですが我が国では逆に手のひらの部分が強すぎて個別の指の働きがもどかしくなりつつある様に思えます。

矢張り物を巧く掴むには指だけではダメ。手のひらだけでもダメ。指と手のひらがバランス良く配置されていないと物は巧く掴めないという事でしかない様な気もします。

最後に我々の中には何かに付け「し過ぎ」「過剰反応」「過剰傾向」が在る様な気がしております。

その元に何があるかと言えば無意識の「完璧主義」「不純物排斥純粋指向」縦横斜めに矛盾無き「緻密整然指向」言い換えれば「一」への指向がある様な気がしてなりません。

それが単に国民や民族上の「美意識」や「美学」に止まっている内はまだしも、その「行き過ぎ」即ち「一方向への暴走に歯止めが掛からなくなる常態」に置いては意図するとしないに拘わらず結果的にそれが「美学社会」を国民相互監視密告社会に変質させ、挙げ句の果てに「全体主義指向」に向かうと言う又々恐ろしい事になりはしないかと憂慮しております。

美意識や美学というのは本題冒頭でも申し上げましたが「価値観の根幹」に位置するものです。

それは民族だけでなく個人にとっても同様に抜き差しならないものでしょうから扱い方次第ではエネルギーにもなる反面、鎖にもなりかねません。

その扱いには余程、格段格別の注意が必要かと思われます。

2021/12/6-2

(うときゅういっきの「これから」同調圧力 恥2

我が国には「建前と本音」という言葉があります。

簡単に言うと内と外が違っている。つまり二重構造になっていると言う事です。

まずこのことをしっかり頭の中に入れておく必要があります。

次に我々は「体裁を重んじる」傾向があります。

是は即ち「型(形=外見)を重んじる」のと同義語でしょう。

是が出来なかった場合我々は「体裁(型)を取り繕い」ます。

「体面を保とう」と必死になります。

以上が我々の人生の大部分を支配していると思われる

「恥を掻かない為の行動原則」

といえるかもしれません。

無論自分が観察したところに依れば、ですが。

元に戻りまして再び「内外(うちそと)」のお話しです。

内外(以降読みは全てうちそと)が異なると大変です。しょっちゅう内外を行き来して辻褄合わせや調整を取らなくてはならないからです。寸刻休む暇もありません。

更には内外を行き来するのでタイムラグが発生します。瞬間に反応できないので「例外的遭遇」を何より恐れます。結果反応が相手の目には見慣れた出来合いのものに映り且つ自分の方は狼狽や戸惑い、遅延反応を見せないために余り人と接したがらなくなります。

簡単に言うと「人を避けて逃げ腰に」なります。

要するに本音の見えないありきたりのつまらない関係しか生まれない事になります。

又自分の中にある内外の違いを初めから織り込んでしまうので相手の内外の差を読もうと必死になります。逆に言うと自分の内外の差を見抜かれない為に更に裏の裏を作ったりもする様になります。

「駆け引き」「裏読み」「様子見」「相手の出方待ち」「腹の探り合い」

その結果日々の日常生活が殆ど「外交交渉の席上」の様なものになってしまいます。

是では疲れない方が不思議です。

公の舞台で恥を掻かない為の行動。それが「常時外交交渉生活」

何かそんな気がしてならないのです。自分は。

ではこんな虚しい怖じ気や疲弊しか招かない様な生活を止めるにはどうしたらいいのか?

話の元に戻ってみれば原則

「内外を合わせる」

となります。

内外を合わせるとイライラや疲弊、身構え疲れからは逃れられます。

ミスを恐れて浮き足立つ事もなくなります。

しかし

「時間稼ぎのタイムラグ」や「ショックを和らげるバッファ」がなくなりますので、

もろに衝撃を受けてしまう事になります。

ならばどうすればいいのか?

それこそ妙な言い方ですが

「落ち着きたければ鉄砲玉に当たる(しくじりの)覚悟をするしかない」

と言う事でしょうか。

「恥(の恐怖)から逃れる為にはまず恥を(こちらから積極的に)掻く以外ない」

と言う事になる気が致しております。

追記)

勿論人には個性がありますからこの方法が合う人と合わぬ人が居て当然です。なので、合わない方に無理強いする積リは毛頭御座いません。

その場合はその方むけに又別の方法を考えるしかないと思っております。

何に付け「一律に」は良くないからです。

2021/12/6

(うときゅういっきの「これから」同調圧力 恥1

演繹法のように全部のストーリーができあがった上で書く書き方ではないので「行きつ、戻りつ」の帰納法のような書き方になってしまいます。申し訳ございません。

なので、本日は本題に入る前に昨日書き忘れた内容を少しばかり先に述べさせて戴きます。

度々申し訳ございません。

では、その書き忘れとは何かと申しますと

「我々日本人の行動原則とはスケートや体操の規定演技の様なものなのではないか?」

と言うことで御座います。

つまり、減点をいかに少なくするか?という発想法。100点満点からいかに失点を食い止めるか?例えば一見加点に見える総合得点98.7は、実は裏を返せば減点又は失点1.3と言うことで、我々は98.7の加点に見えるものより減点又は失点1.3の方を気にしながら生きていると言うことを述べ忘れたので御座います。

では、いよいよ本題。

前回記事の終わりの方で「赤面の恐怖」と書きましたが、それはどういうことなのかについて今少し詳しく述べさせて戴きたいと思います。詰まり赤面のメカニズムについてです。

在る外国人が

「日本人は皆対人恐怖症なのか?話しかけようとして近づいただけで目をそらして落ち着きを失い、逃げ腰になる。なんでなんだ?」

と尋ねてきました。

それで思ったのですが、我々は山道など誰も居ないところで外国人に会ったりすると言葉の問題など何処へとやら。

お節介と思えるほどあれもこれもと世話を焼くのに、確かに街中だと「仰せの通り」の態度を取る。

「何故だろう?」

それで思ったのは、外国人を前にしたとき、目の前の外国人より背後から厳しいチェックを入れている我々同朋の目線が気になってそのような振る舞いになるのではないかと考えました。

では何故そのようなことが起きるのか?

そこで又考えたのが

「日頃自分がそうした目で他人を見ているものだから、他人も恐らくそのような目で見ているに違いない、と勝手に思い込んで居るところがかなりあるのではなかろうか?」

と言う仮説でした。

度々の所作とはなりますが、是を又裏返せば

「自分がそういったチェック目線、スパイ目線で見ることを止めれば、或いは止められれば案外気楽に外国人と、それこそ対人恐怖症などと言われない堂々とした態度で会話が出来るのではないか」

という事になります。無論仮説ですが。

もしそれが叶わない場合、次のような心象が発生するような気がします。

即ち

「(古において完成された)「特段の美学」を自分が達成できないなら、むしろ或いは次善の策として人の目を患わさぬよう、雰囲気を壊し汚さぬようにお行儀良くして何もしないで居るのが正解(スタンダード)」

となり、上述の「達成」「スタンダード」そのいずれも出来ないのは

「恥ずべき事」


それが即ち

「美学の対極である恥」

と言うことになって居るのではないのか?

と推測しておる次第で御座います。

2021/12/5-4

(うときゅういっきの「これから」同調圧力 その正体2

先に「同調圧力の正体は美意識、更には美学である」とかいて違和感を覚えられた方が多かったのではないかと思います。

確かに自分も書いた後、何か足りないような気がしておりました。こういうものは実際に書いてみないとなかなか見つからない感覚なのかもしれません。書くまでは「美学で当たりだ」と思っていたのですが。

では何を言い足りなかったのか?

今回はそれを考えてみたいと思います。

そこで例によって「美」の反対を考えてみました。美の反対は当然ながら「醜」です。

この「醜」という文字を見て思い当たったことがありました。

それは

「美学ではなく、「醜」排除学と言った方が妥当なのではなかろうか」

と言うことでした。

つまり積極的に美を求めるのではなく、美を邪魔する、美を汚す、美を損なうものを排除する思考。

この考え方だとある意味最高でマイナス「0」にしかなりません。全てが減点圧縮思考になるからです。

もっと平たく申せば

「ミスの許されない」世界。

ひょっとしたら古の何処かの時代で、既に何かが完成されてしまって

「そこから一点たりとも既得得点を減じてはならない。100点満点から下がってはいけない。99点以下は点数ではない。「0」に等しく無意味でしかないのだ」

と思い込んでしまったのではなかろうか?

と。

更には「一」という素数第一番目の全き世界を崩してはならないと言う意識。

こうなってくると許容範囲が極めて狭く尚且つ初期ハードルが極めて高くなってきます。初めから敷居が驚くほど高い世界が眼前に出現することになります。

結果余程の覚悟がないと「おいそれとは手が出せなくなり、その前で恐怖に震えて身がすくむ羽目」になってしまうのも当然でしょう。

全ては答えを探して歩みを進める帰納法からではなく、初めから答えが出ていてそこから逆算して下方に当てはめていく演繹法による「在るべき姿の指定配置」がされてしまうことになります。

更に言い方を変えて別の角度からお話し申し上げますと

中身(動詞)よりも外見や型(名詞)を重んじる世界でもありましょう。

型から入る。

先に答えが出ている。

型なので必然的に外枠と上限が決まってしまう。

そして型は目標目的の代名詞にも変化する。

全てはゴール(目標目的達成地点)から見て残り後幾ら、の世界。ゴールにたどり着いて始めて残り後「0

その前は常にマイナスの未達数字の世界。マイナスを消し込む作業でしかない。

加点加算方向には一歩も出ない。何も積み上がらない世界。

その達成前に更に減点を増すような「落ち度」「失態」「醜態」を極度に恐れる心象。

「赤面」の恐怖。

そういえば此処で出てきた「赤面」の連想から思い出しましたが、恥という字は「耳が赤らむ心象」という意味だそうです。

そこで次回はついでですので、別の側面から「恥の文化」と言われる我が国固有の心象について考えて見たいと思います。

2021/12/5-3

(うときゅういっきの「これから」同調圧力 その諸相)

どちらが正しいのか分からなくなる不安。

おかしいのは外国なのか我が国なのか?おかしいのは周りなのか自分なのか?

そんな場合、人は無明の不安や焦燥に駆られて「解」とまでは行かずとも兎に角何かを探し始める様です。

元々観察好きな自分は他に方法も知らなかったので今まで以上に観察をし続けました。

辺りキョロキョロの益々「妙な奴」になって。

そして今回もその観察結果の「結論(エッセンス)」を先に書いてしまいます。

ある人が我が国は資本主義国ではなく隠れ社会主義国だと言ったのを耳にして自分は

「我が国は隠れ全体主義国だ」

と瞬間的に思いました。

お上が強いているというよりも国民相互が「秩序を乱す不穏分子」を事前に発見すべく互いに見張り合う「相互監視社会」なのではなかろうかと。

そしてこの場合の秩序こそが「一」なのではなかろうかと。

是また概念を先に申し上げますと

「我が国では全部が一方向に向かってしまい、真の意味での対立軸、対抗軸が発生しない。その発生は秩序を乱し作業を遅らせる物として疎まれる。なので、言われる前にそれこそ忖度しまくって突出を引き戻して飲み込み、一方向にばかり進んでしまう。

では監視対象の不穏分子が誰なのかと言えば自分に近しい者の順番。

同僚、友達、近親者家族、そして最後は自分の中の不穏分子的な傾向を自分で自ら密かに押さえ込む。国語辞典的に言えば自重」

此処で始めて事例を挙げますと、例えば

コロナ禍、社内換気のためにバスの窓を開けたいが人目を引くので止める自重。

とか

学生がお年寄りに席を譲りもせず傍若無人に振る舞っているので注意をしたいが、逆に目立つので止める自重。

とかの「自重」

はたまた家族の中から外目から見て明らかな不穏分子を出さない為に、無理矢理黙らせたり逆に何でも言う事を聞いてしまったりする傾向。仮面を被ってでも不穏を外に見せない傾向。

以上は不穏の自重関係でしたが、一方向関係の事例で申せば、是はなんと言ってもニュース番組やネットでの投稿です。

在る話題が上ると直ぐへ右に倣え、です。そしてニュースが此処までやりました、此処迄やっている処もあります関係の記事を流す。まるで先生に褒めてもらおうと「僕(私)此処迄やったよ、の報告合戦」を繰り広げ幼稚園児みたいです。

前者に付き物なのが「人の目線」

もっと言えば周りはスパイだらけ。

そして後者に付き物なのが同一フィールドでの「張り合いっこ」

同じフィールドでの張り合いなので同一方向にドンドン伸び上がル事に。

そして此れ等を明ら様に咎めるのは「無作法」と言う事で此処で又「自重」

こうなると最早何も言えないし出来なくなってします。

言う前、試す前に何から何迄自ら引っ込めてしまうのですから。

そして外見上世の中は突出もなく一体感を持って済々と流れている様に見える。

めでたし、めでたしという筋書きの成立と相成ります。

2021/12/5-2

(うときゅういっきの「これから」同調圧力 発見のきっかけ)

それが同調圧力を感じるきっかけになったのかどうかは判然としませんが酷く記憶に残っている出来事が二つありました。

自分の店は外国人従業員がパートも入れて4人働いております。ネパール人が3人。パキスタン人が1人。日本人は自分だけです。一時インド人もおりました。

そうした中でのホンの些細な出来事でしたが「んっ?」と思ったのはお札の入れ方でした。

当店では毎朝食材等の購入のために千円札を3枚、ドロップの空き缶に入れておき、外国人従業員がその中から必要なお金を引き出して買い物に行きます。

日本人の自分がお札を入れる時には3枚、耳と方向を揃えてキチンと畳で入れておくのですが、買い物から戻ってきた後のお札はいつもグチャグチャに丸められた形になって突っ込まれておりました。

国や年齢、性別、学歴に拘わらずに、です。

「何できちんと入れひんのや?何度ゆぅても分からん奴らや」

そして今一つの記憶は企業の度重なる不祥事の謝罪会見の様子でした。

自分の元いた会社が社会的に大きな不祥事を起こしていたので、無意識にも不祥事の謝罪会見が気になっていたのでしょう。

それで何に驚いたのかと申しますと

「謝罪会見の最後にするお辞儀」

に対してでした。

業種、規模、老舗か新興かの歴史に拘わらずお辞儀の仕方が全く同じだった事に、です。

事前に打ち合わせた訳でもなかろうに、時間軸、空間軸を異にする会場で土下座、号泣ゼロの中、例外なく深々と頭を下げるその「お辞儀の角度」迄一緒に見えたのです。

「ほんまかいな。おちょくっとん、ちゃうか?ここまでくると何や気味悪いわ」

今思うと上述二駒の映像が頭の中で好対照を描き出した様です。

それで翻って当店のマネーボックスの映像から

「世界中何処でもお札という物は綺麗に畳んでおくのが共通常識やと思ぅとったが、そうではないのかもしぃへんで」

と。

そして今度は後者の謝罪会見の映像から

「わからんちんの外国人相手に、兎に角現場を動かそぅ思ぅたら言葉の通じひん相手がわかる様に大声を出す、オーバーアクションをする、表情を豊かにせざるを得なんだが、周りからは「妙な奴ちゃ」扱いばかり受けてきよったな、そういえば」

と言う記憶がよみがえって参りました。

そうして此れ等の記憶が巡り巡って最後に

「ひょっとしたら是迄の感覚と違って我が国は逆に世界の中で異端。その整然たる我が国の中で、銅鑼声を張り上げている自分は是又その逆の異端という事かいな?」

と言う「裏の裏は表」みたいなそれこそ妙な発見でした。

と同時に、それは是まで自分が持っていた常識が大きく揺らいで寄る辺ない不安界に突き落とされた瞬間でもありました。

「ひょっとしたら自分は何やら飛んでもなぁ大きかぁ勘違いばぁしよったまんま生きとんねやぁもしぃひんで。そげんこつばぁありよったら、今までの全部パーやで。ヤバかぁ、どねぇしょ?@@;

2021/12/5

(うときゅういっきの「これから」同調圧力 その正体1

予定していなかったお話しを2つも差し込んでしまった為に、ご案内の「同調圧力その正体」の開始が遅れてしまいました。

大変申し訳ございません。

お待たせした分、早々に結論から先に申し上げます。

「同調圧力の正体とは何か」

曰く

「我々日本人の美意識、もっと言えば美学に根ざしている」

と。

そもそも此処まで根深いものに対してマイナス評価意識など在ろう筈がありません。此処迄根深いからには必ずやプラス評価意識があると考えておりました。

その美学とは何か?

と申せば

「一」

です。

一番の「一」ではなく「一体」の「一」

我々日本人は兎に角「一」が大好きな民族です。

例えば

「一糸乱れぬ」「一致団結」「一丸となって」「一心不乱」「一球入魂」「一気呵成」「一意専心」「一気通貫」「一事が万事」

等など数え上げれば切りがありません。

因みに親が第一子の自分に付けた名前も「一貴(かずたか)」でした。

兎に角我々日本人が「一」に託す思いというのは格別なものがあるようです。

即ち「均一」「整然」「精緻」「等質」「不純物無し」の「均質統一美」のようなものを求める心象とでも申しましょうか。

裏を返せば「はみ出し」や「不揃い」「例外」「異質異端」を嫌う傾向です。

其れ等は美しくないし不穏であると言う心象。

思うにこの不安感こそが「同調圧力の正体」ではないかと。

その奥底には「我々日本人が持つ美学」に対する守護者としての自負があるような気もします。

移民政策を嫌ったり英語を超絶膨大な語彙を持つ日本語と同数分だけ英訳しようとしたりする傾向も同じ根っこから出ているような気がします。

前者は不純物の混入を嫌い後者は同一の精緻さを求める傾向からとでも申しましょうか。

他にもいろいろ述べたいことはありますが取りあえず本日は此処迄。

次回以降はその同調圧力が産み出す我々日本人の様々な心象について観察をして参りたいと思っております。

追記)

均質統一美、左右対称、精緻この上なしが一番現れているのは古の「仏像」や「仏教建築」で在るような気がしております。直感的には。
要するに古来より我が民族に備わった相当根深いものだと言うことで御座いまし

2021/12/4

(うときゅういっきの「これから」同調圧力 デフレ6 終章 歴史を繰り返すな)

此処に、先に述べました「データドリブン」と「対前年同期比、損益必ず改善のこと(常に右肩上がり)」とのカップリングによる悪しきサイクルができあがります。

どういうことかと申しますと

想定売価がどのくらい下がるかというのは経験則から直感的には直ぐに頭の中ではじき出せますが、それを一分の隙もなく統計学的にデータドリブンで証明(説明)せよと言われたらその作業だけで膨大なものになります。

まず客観的データを取るためにアンケートで市場調査をしなくてはなりません。

調査設計から始まって調査内容、調査の実施。

その為には、予算外の調査費用の獲得や対象者(販売店)のスケジュール調整、会場確保など大変な手間が発生します。

そしてそこまでしても役員から

「こんな調査、信用できない」

と一言言われたらおしまいですし、それより何よりそんなゴタゴタを繰り返している内に、商機を逸し、最悪の結果を迎えたままで、その事業年度が終わってしまいます。

そうこうしている内に翌年度には「最大のコスト」と見なされている「人件費の整理」即ち「人員整理」が始まるのです。

(私事ではありますが、恥ずかしながら、そう言っていた自分自身が整理されてしまいました。バブル崩壊から10年。2000年の春でした。10年に渡り「解」を探しながら見つけられず、ボロボロになって最後まであがいた今で言うリストラの最後半組でした)

なので、それを避けるためには仮説として、記述のデフレ記事の内容を裏返し

一つ。手抜きをしない魅力的な商品を作る

一つ。正々堂々と価格を上げる(提示する)

一つ。従業員には価格を上げて利益が出た分の給与アップをきちんと行う。

一つ。それを得た従業員は、今度は消費者となってそのお金をきちんと使う。

一つ。これをタイムリーに且つ果敢に行う。

以上が「済々と」行われれば、それこそ経「済」は回るはずなのです。お金が世の中を巡る筈なのです。

下り坂の時ほど守りに入るのではなく、果断な責めに入らなくてはならないでしょうか。

これを株で言えば逆張りの底値買いです。相手が恐怖から叩き売ったものを此処ぞとばかりに底値で買いまくると言うことです。

「失われた30年」を生きてきた自分の経験則からは

将に

大変こそ大機(Big critical term is big chance

の様な気がしております。

補足)

電機メーカーを退職後、現在は外国人従業員達とネパールカリー屋を細々と、でも楽しく営んでおります。今年で4年目になりました。

あの歴史はもう二度と繰り返したくありません。

2021/12/3

(うときゅういっきの「これから」同調圧力 デフレ5

案内に違い、デフレに関して一つ書き忘れていた事がありましたので、今回もデフレについてです。

そのきっかけとなったのは以下の記事でした。

「何故我が国の会社のDXは進まないのか?」

その要因の一つとして

「レガシー(既存システム)から抜けられない」

というのがありました。

では何故既存システムから抜けられないのか?

「発注側は前年同期比で予算オーバーしなくて済むし、オーバーしても上に説明可能な範囲のレベルに止まる。

一方受注側は既存システムのつぎはぎで済むので利益率が高く、つぎはぎの仕方はその会社にしか分からないので容易に顧客の囲い込みが出来る」

と言うものでした。

それで思い出したのがバブル崩壊直後の次年度商品企画提案時のトップの判断基準についてでした。

具体的には

「対前年同期比、損益必ず改善の事(所謂常時右肩上がり)」

是また前回記事の中の「データドリブン」同様、一見すると至極当然で文句の付け様のない指示だと言えそうですが、実は商品価格が上がらない中で是をした場合大きな問題が隠されていたのです。お客様にとっても自社の存続にとっても。

利益=売上高―原価

であるとすれば、バブル崩壊で売上高(商品価格又は数量アップ)が上がらない中では、上記の式から原価を下げる以外はない訳です。

となれば同じ商品価格でありながら、原価ダウンの為に質を落とさざるを得なくなります。無論単純な原価ダウン以外にVA(同じ効用を低価格な素材を開発することによって原価を下げる方法)も考えられますが、それとて事前の投資がいり、投資が出来たとしてもそうそう毎回いいネタが見つかる訳でもありません。

バブル絶頂からバブル崩壊と大転換時期にあっては転換期に往々にしてある事ですが全ては後手、後手に回ってしまうのです。

結果お客様には同一商品価格ながらうたい文句が甘言でしかない手抜き商品がいってしまう事になります。

又自社の最終締め損益や他社との競争を考え今後の存続を維持する上で、企画サイドとしては

「この最小コストで仕様アップをしないと、仕様アップコスト以上に大幅売価ダウンを招き、結果最終損益は計画値以上に大幅に悪化します」

と仕様アップしなかった場合の想定ダウン売価を比較対象に説得に掛かりましたがダメでした。

事業部トップの大前提は

「(言いたいことは分かる。が)鼻から見かけの悪い数字を役員には出せない」

というものだったからです。

そして締めてみれば案の定大幅な売価ダウン。

それが恒例化し、以降デフレスパイラルへと突入していった訳です。

レガシーに囚われDXが進まないのも同じ事が原因の様な。

しかしこの見かけの絵姿に過ぎない「対前年同期比、必ず損益改善の事(常時右肩上がり)」を続けていれば、どんな時代、どんな分野に於いても後は「じり貧」になるだけです。

轍を活かし

「いつか来た道」

はもう止めにしたいものです。

2021/11/30

(うときゅういっきの「これから」同調圧力 デフレ1

海外では原材料が上がった場合比較的価格転嫁が受容されるのですが、我が国では価格転嫁が進まずにコストへの抑制や下方圧力が働くケースが多いようです。

コストの構成を見ますと人件費、原材料費、その他維持費が一般的です。

一方デフレとは何かと申しますと

価格が下がるのは皆さんご存じだと思いますが、以外と知られていないのが

単位辺りのお金の価値が上がる、詰まりお金の単位辺りの価値観が相対的に上がるためにお金をストックする(タンス預金、手元に置く。使わない)に在るわけです。特に我が国では。

勿論皆さんはそんな貨幣価値論を考えているわけではなく、無意識に行っているわけですが、経済学的に申せばそういうことになっております。

此処で大切なのは、買う物の質や量が同じであれば単位辺りのお金の価値観が上がるという事です。

もし、生産者側が同じ利益を確保しようとして原材料の質や量を落としたり、人員削減で製造工程をカットしたりすれば、単位辺りのお金の重みが上がって居るのに対して、物の質がそれ以下に下がっていれば、お金を払いすぎている勘定になりますので、コストパフォーマンスが低下し、生産者が家庭では消費者となる皆さんは価格が下がっていても買う気が起こらなくなるわけです。

簡単に言うと、自分の昼間の仕事場での経験から他の商品もそれと同じ手抜きだと直ぐに連想し、安物買いの銭失いを避けようとするはずだからです。

そしてデフレ下で給料が上がることなど考えもしない消費者となった人達、特にその奥さん方、就中ご主人から入智恵された専業主婦さん方は

「どうせ質や量を誤魔化しているんでしょうから、もっと価格を下げなさいよ」

と更に下方へのデフレスパイラルが加速することになります。将に負の連鎖です。

こうなってしまうとご主人やパートの奥さん方の給与の減額、雇い止め、リストラによる解雇が頻繁に起こるようになります。

又業者さんへの圧力も買い叩きなど優越的地位の乱用によって相当なレベルになり、同じ事が業者さんの会社でもその従業員の家庭でも起こることになります。

すると我が国全体が負のスパイラルのまっただ中に沈んでいくことになる訳です。

もし、正確にコストが下がった分だけ反映して価格を下げていれば、少なくとも幾ら価格を下げても数量が増えない所謂「流動性の罠」には陥らない気がします。

底を打った安心感がうまれるからです。しかし妙な手抜きをすれば不信感から疑心暗鬼が生まれ、結果ドンドンおかしくなっていく気が致します。

 

2021/11/30-2

(うときゅういっきの「これから」 デフレ2

ところで、話は変わって自分は20年間ほど生活消費財及び耐久財の商品企画(マーケティング)に携わっておりました。

そこでいの一番に教わったのが

「原価積み上げ方式で価格を設定しても売れない。お客様が求める価格から逆算してコストをはじき出し、それめがけて一目散に走れ」

と言うものでした。

詰まり企画段階で既に「コストアップの反映」即ち「値上げ」は封じられのていたのです。

「価格戦略」と言えば「値下げ」の事でそれ以外就中「価格アップ戦略」等と口にしようものならそれはもう「商品企画部内の国賊」扱いでした。

折しも「イノベーションによる」価格破壊がもてはやされていた時代でもありました。

しかし此処で肝心な事を教わっていなかったのです。

それはマーケティングの上にある経済の仕組みや原則。

平たく申せば

「消費者は同時に生産者でもある」

「私生活での買い手は同時に仕事場での作り手、売り手でもある」

という事実でした。

そして今一つ。

こういう話もありました。

それまで製造サイドが強かったのが、営業サイドの力の方が強くなっていたのです。

「全てをあげて店頭へ」

「売りの現場の意見を聞け」

「お客様の声が第一」

マーケティング重視の方針による商品企画方法は其れ迄の原価積み上げによる値付け方式を一変させ、お客様の要求価格から逆算した原価設定方法に変えさせたばかりでなく「お客様の声の代弁」と言う事で営業サイドの発言力が圧倒的に強くなったのです。

商談の折に営業部員が顧客の代弁をするのはいいのですが、中には

「あんた一体どっちから給料もらっているんだ?」

と尋ねたくなる様な「過度に顧客寄りの姿勢」を示す者も出て参りました。

会社からは利益を要求され、現場からは値下げを要求される。それによって企画サイドがする事と言ったら質や量のダウンサイジング以外なくなってきました。

そして製造価格の内の間接部門人件費を抑えるために「サービス残業」が常態化していきました。

上司から言われたからと言うより、そうでもしないと企画そのものが社内で通らなくなってきたからです。

企画が遅れれば製造現場に負担が掛かる。製造現場が遅れれば販売現場に更に負担が掛かる。それを考えると上司から言われる迄もなく担当者は自らサービス残業を始めた訳です。

日々の仕事をスムーズにして自らの精神的ストレスを少しでも和らげる為に。

「自分のせいで製造ラインが止まったらどうするんだ。自分のせいで商機に商品が間に合わなかったらどうなるんだ」

と言う圧迫から逃れる為に。

いい物を作ろうという志も消え、ターゲットコストへの数字あわせばかりに気を使いそれに翻弄される日々。

ついに自分はうつ病になってしまいました。

今を去ること25年前、自分の働き盛りの頃のお話しです。

 

2021/11/30-3

(うときゅういっきの「これから」 同調圧力 デフレ3

自分の様な人間が、多く会社から弾き出され中には海を渡って他国で活路を見出す者も出てきました。

その人達が新天地で安くて良い商品を作りだしそれが回り回って我が国に「低価格の洪水」となって襲来し、結果追い出した古巣の会社すら潰ス自体となって今日のデフレ傾向を決定づけた気がしております。

もし妥当な範囲で価格転嫁が認められていれば多くの人々が意欲を失う事なく、又解雇される事もなく国内で働き続けて居たかも。

そうなっていれば他国からの安くて良い商品による「洪水大禍」もなく失われた30年もなかったのかも。

それにしても何故我が国では妥当な価格転嫁が出来ないのか?

そして何故その皺寄せが人にばかり来るのか?

思うに屁理屈ではどうにも動かし難く変容させにくい(融通の利かない)「物理変数」を避け、屁理屈が効き易く変容させ易い(融通の利く)「心理変数」を使いたがる傾向が我々にはある気がしております。

即ち「論理」の物理系ではなく「心理、情緒」の「人間系」をバッファとして使う傾向が。

例えば

「騒いで事を大きくし次の就職に差し支えるといけない」

と思う心理とか

「安い給料でも首を切られるよりはマシ。肩書きを失う失業のみっともなさに比べたらお安いもの」

と思う心理とか。

前者は必要以上の将来予測とその予期不安から。

後者は安定とメンツ第一思考から。

と言えそうです。

要するに時間軸と空間軸に存在する人の目線に対して最悪を予測して可能な限りの予防線を張る。

それにしても何故我が国国民にはこういった「心理変数」が面白いほど効いてしまうのか?

ちょっと圧を加えると地面を這う蟹の群れの如く例外なく一斉一方向に動く習性があるのか?

ひょっとしたら我々が同じく

「殺生与奪の権が自分の側にではなく全て他人の側にあるから」

ではないか。

殺生与奪の権が自分になく他人に会った場合、自分ではどうにもならないわけですから、いつ来るか分からないご託宣に常に怯えたり、落ち着かなかったり、挙げ句の果てはその不安から逃れる為に殆ど身売り同然の形で自分の方から相手の言いなりになったりします。

公的な肩書きや地位は他人が与えるものなので人の評価がとても気になります。

人気も人が与えるものなので人の目線や噂話が是またとても気になります。

我々皆が殆ど同じ状況下に居る事の必然の結果?

しかしもし自分が自営であれば、自営のリスクはあるものの自分の進退は自分で決められるので「何時来るか分からないご託宣を待つ事による怯え」だけはしなくて済みます。

又自分の価値観とやろうとする事が明確であれば人の目線や噂はそれほど気にはなりません。

しかしそれは「公的見解」

実際の我が国は既存の枠組みや様式が余りに強固で

「改めて自分では作り出せそうもない。ならばそれには逆らわず当て嵌めるしかない」

と言う事になっているのかもしれません。

 

2021/11/30-4

(うときゅういっきの「これから」同調圧力 デフレ4

価格下落圧力により商品の中身の手抜きやごまかしが始まった為に仕事に誇りが持てず、更には製造と営業の間に挟まれてその調整ばかりを繰り返す日々を送っていたためにうつ病になったと申し上げましたが、そのうつ病を更に悪化させたものがありました。

それは

データドリブン経営。

「全ての意思決定はデータによって行う。バブル時代の情術経営は許されない。数値で説明できないもの。数値の流れが途切れて続かないものは認めない。設計図に一点たりとも曖昧な処があってはならぬ。あれば物は動かんから」

と言う訳でした。

その儘聞いていると誠に筋の通った話に聞こえましたが「全て」を数値化するというのは逆に何処かに無理があり、却って非効率を招く側面がありました。

言ってみれば「数値化自体が極めて困難でそれを数値化する事自体には余り意味がないような場合、それでもそれをしようとすると却って手間暇が掛かり非効率になる。

それでも敢えてそれをしなくてはお咎めを受けるというのは本末転倒そのもので数値化自体が目的になっている」としか思えませんでした。

完全な目的と手段のはき違えで、非効率そのものでしか

ところが在ろう事か、なんと自分がそのデータドリブン経営の手法を社内に伝播する講師役を命ぜられたのです。

理由は

「うつ病で企画等と言う創造的な仕事は出来ないのだから、後方支援的な仕事をしていろ」

と言う訳でした。

しかし是は地獄でした。

自分は元々最初に結論を出しそれを順々に下ろしていく演繹法的な思考の人間なので、一つ一つ照査を繰り返して積み上げ、最後に結論を出す帰納法の権化のようなデータドリブン経営の伝播等まるで肌に合わなかったからです。

なので、自分は鼻から

「言いたいことは分かるが、でも」

という意識がつよかったのです。

自分が納得いかず、且つ余りにも高度な統計学で理解出来ていないようなものを何でも答えられなくてはならない講師と言う役柄。

それを果たさなくてはならない事ほど辛い事はありません。

更に加えて此処でも全てが右へ倣え。

反論は許されない。

流れが右と言ったら全て右。

左と言ったら全て左。

反対反論は非国民扱い。

同じ目的での別のアプローチも許されない。

アプローチの仕方は一つだけ許される。

他の例外はなし。

事を起こすな、面倒にするなと。

最早呼吸をする事すら叶わぬような状態になっておりました。

しかし当時は、

「是をこなせないのは自分が悪いのだ」

としか思いませんでした。

結果、自分は当時の精神科の医師の言葉を借りれば

「この人は最早廃人になってもおかしくはない」

程の状況に陥っておりました。

デフレの下方圧力と同調圧力は当時、最下部に於いてこんな景色や心象を産み出していたのです。

注)

次回は「同調圧力 その正体」を予定しておりますが、脱稿にはかなりの困難が予想されますので、暫くお時間を頂戴致したく存じます。

 

2021/11/29-3

(うときゅういっきの「これから」緊急特別寄稿)

本日午後3時30分。

再び全面的入国制限の宣言が発せられました。

オミクロン型コロナが発見されて入国制限までに要した時間はほんの数日。

我が国の首相は、早すぎるロックダウンではないのかとの指摘に対して

「全責任は自分が負う」

とまで言い切った。

それが何を意味するかと言えば、今回のタイプはそれほど強力だと言うことです。ワクチンに対して殆どオールマイティのパワーを持っている様な。

是で又海外からの供給網が寸断され食材の入手が困難になる。

当店の外国人従業員が母国に置いてきた家族の入国の可能性が限りなく遠のく。

このような事態に対して

「何故、あのときコロナ禍同時進行執筆 ニューノーマル探索サバイバル日記を早々に止めてしまったのか?それこそ時期尚早で、気が抜けて油断し、コロナ禍を甘く見すぎていたのではないか?」

とのご指摘が御座いました。

しかしそれはもう結論の出た話だと自分は思っております。

「常に危険や危機があるのが常態(ノーマル)

なので、一々ニューなどと付ける必要はなかったのだし、今回のオミクロンウィルスにしてもたまたま又「コロナ」であるだけで、他の危機の可能性もあったろうし、オミクロンが出る中で既に別の危機が始まっている可能性もあるのだから、何も再び「ニューノーマル探索サバイバル日記第三弾再開編」などと銘打って始める必要は全くなかろう」

と言うのが自分の考えで御座います。

そもそも平和や安らぎが100年も200年も続くわけがありません。だからこそつかの間の平和や安らぎが尊いのでしょう。

現に100年以上続いたパックスロマーナは本当の平和や安らぎはほんのつかの間の時間で、その後は見かけ上平和に見えていただけで、その安逸をむさぼっている間に隠れた危機がドンドン増殖し、結果ある日突然ローマ帝国は滅びてしまったわけです。

だとすれば平和や安らぎは本の一時の天からのプレゼントくらいに位置づけて「20年も30年も続くのは何か変だぞ?」と思いなした方が良い気がします。

話は変わりますが当店はお上から一銭も援助を戴きませんでした。いただく基準に達していなかったのも事実ですが、敢えて援助していただく気も御座いませんでした。

何故なら、危機が常にあるものだとすれば、最初の一回だけ援助していただいても何の役にも立たないからです。二回目も三回目も、そして100回目も継続的に援助がされるわけがありません。

であるのならば、最初の一回目を断って、その分危機への耐性を養った方が。先々芽が出る可能性が高かろうという判断で御座いました。

いってみればそれが今回の危機下での「果実(fruitful harvest)」だと思っております。

完全な手前味噌では御座いますが。

2021/11/29-2

(うときゅういっきの「これから」同調圧力 弊害2の余談編)

前の記事のイントロで触れました件の私見続報です。完全な余談ですので、不要だと思われる方は読み飛ばしてくださいませ。

 

セグメントを外そうとしたその候補は実はその国内に於いては分断ではなく共通項、つまり結束を促したのかもしれません。無論本人の意図として、はですが。

(結果は世界の分断を招いてしまいました)

意図と結果が皮肉にも美事な迄に逆になった例でしょう。

しかしその国内では未だに人気が高いのは、その支持者がうっすらとでも「分断」ではなく「結束」をその候補の言動や行動に感じ取っているからかもしれません。

「あと先」を敢えて計算しないやり方。

計算を隠しながら、気がつけば計算され尽くした罠にはまっている様な目にばかり合ってき、そうしたやり方にうんざりしていた彼らには、その不測と秩序(計算のこと)のない破天荒さが却って新鮮だったのかもしれません。

もうセグメンテーションはご免だと。

属性やシーン、地域、性別、収入、宗教、思想や意見、階級などに自分を切り刻まれ、その切り出部分だけを全人の自分(即ち票)として都合良く使われるのはもう沢山だと。

全人的でいたいだけなのだと。

男(女)の自分とか、●●云々ではなく目の前の「俺(私)を丸ごと見てくれ(ちょうだい)」という叫びが底にあるのかもしれません。

この候補の隠れた人気の存在は言うなれば経済のみならず政治、軍事等全般に敷衍されてしまっている「現代マーケティング的手法、即ち全人格の分断へのアンチテーゼ」とも言えるのかもしれません。

やんちゃなガキ大将と品行方正な秀才君。

どちらが実際にクラスで人気があったか?

(試験期間間近には秀才君の処へ。でも遊ぶときはやんちゃ君と、と言うクラス仲間の使い分け)

そして、他校のPTAからは学校を代表する生徒として二人はどう思われたかといったところでしょうか(他校の生徒からではなく、です)

或いは又、選挙コンサルがマイクロ何ちゃらするのもむべなるかなでしょう。

何故ならセグメント分けした方が、実入りがその数分、多くなるからです。一本化されたのではセグメントが1しかないので、実入りが激減するからです。

我が国でも同じです。

大同小異の中に無理矢理差を見つけ誇大化するのも、その分多くの雇用を生むからです。

なので、唱える側はそれに必死にすがりつく事にもなる訳です。

結局どの国の事情も同じようなものなのかもしれません。

個々の自由(個性の実現)を求めつつも、何処かでたまたま隣に居る人とも繋がっていたい。一人で気ままにやりたいが、ずっと一人は嫌だ。そして食いっぱぐれだけご免だ。

と。

 

以上全くの思いつき的私見で御座いました。

 

次回はデフレのお話しを予定しております。

2021/11/29

(うときゅういっきの「これから」同調圧力 弊害2)

以下は、今回もマーケティング上のお話しです。

最近ある外国の経済紙に次のような話が載っておりました。

「もしA氏が16年の選挙戦略をコンサルタントに相談していたら真っ向から否定され、別の戦略を取らされていただろう。だが彼は自分の考えを貫いた。

対立した党は見逃しがちだがA氏が予想に反して成功したのは、可能な限り幅広い層の自国民に一度に分かり易く語りかける事ができたからだ。たとえ売り込んできた中身が自暴自棄の様な民主主義の否定だったにせよ。

対立した党のコンサルタントたちが愛してやまない「マイクロターゲティング(対象を細かく絞り込む手法)」とは正反対だ。対立した党は「民衆」を代表する党を標榜するだけにこれは皮肉だ。幾つもの異なる集団の夫々に異なる公約を掲げる戦略を取りながら「普通のX国人」の為に戦っているといっても説得力に乏しい」

(名称を隠し文字に筆者修正)

是は千差万別な国民がいる国での話です。

マーケティングの常識から言えば異なる属性のグループを事細かに切り刻んでクラスター分けし、そこに適材適所な戦略を打つというのは当然でしょう。

しかしその年に対立した党は、我が国でよく見られるような「国民一丸となって」みたいな事をスローガン化し実態とは裏腹に標榜してしまった訳です。

一方我が国では不思議な事にお上がわざわざ言わなくても、むしろ国民の側の方が「一丸となろう」とする傾向が見られます。いや一丸(結束)ではなく「横並び」と言った方が妥当でしょう。

家庭に於いては消費者である国民の側の方が「お隣さんと極端に異なる事」はしたがらない。同じ人が職場に於いて生産者になる場合にも「他社と極端に違った戦略」を取りたがらない。

無論、社内で上司や提案者である本人自身が「圧倒的差別化、差異化。イノベーション級の画期的新提案」と連呼したとしても、です。

提案されてきた中身の実態は結果として大同小異レベル。

言われもしないのに自ら見えない「同調圧力に忖度」して。

その結果殆ど大差のない意識グループの中に上記で掲載した引用文の中の対立した党が取った様な「マイクロマーケティング手法」が投入される事になります。

そしてそこで何が起こるかと言えば

「ほんの僅かな差を顕微鏡的視野で見いだし、その差を誇大拡張デフォルメして訴求する」事態が起こり、セグメント長期維持化の為にそのクラスター分けされた対象者には「特権階級意識」を植え付け「垣根作り化(即ち結果的な分断)」を煽る訳です。

大枠は外さず身の安全を確保しながら大差ない差別化を誇大化しセグメント分けした数の分だけ多くの広告機会(数)を確保するという一挙両得。

その結果、地球に全然優しくない「似たり寄ったりで需要家が見つからないままで捨てられた廃棄物の山」が我が国の国土を埋め尽くす事態になってしまっている様な気がしております。

2021/11/28

(うときゅういっきの「これから」同調圧力 弊害1)

以下はマーケティングのお話し。

同調圧力の良い面(と言うのも変ですが)は「同質の大きな塊」が出来る事です。

簡単に言うと少ないリソースで数が稼げる。

一方同質圧力の悪い面は「同質競争」なかんずく「価格競争」に陥り易い事です。

狭い処に集中して混み合い限られたπを巡ってお互いがお互いを食い合う事になり競争も激化し勝ち。

又、余り差がないので「ハイコストパフォーマンス」という名の「低価格の中に機能を寿司詰めする競争」に走り易くなります。

低価格の中に無理矢理いろんな機能を詰め込む結果、自社にも業者にも負担や無理が掛かる事になります。かの有名な「利益なき繁忙」の世界。

その姿勢は他方大差無いものを恰も大きな差があるかの様に装う「誇大宣伝」の元になります。

そして又、更に商品を企画している当の本人すら「小さな差」を「大きな差」だと勘違いし勝ちです。

単なるグレードアップを「差別化」といい、同一フィールドで行われる「差別化」を違ったフィールドで行う「差異化」と言ったりする様になります。挙げ句の果てに最近では「今迄してこなかった方がおかしいレベルの当たり前の改善」をイノベーションといい、その言葉を連発する事態に。

イノベーションがそんなに頻繁に起こる訳がないにも拘わらず恥ずかし気もなくその言葉を連呼する事態に迄発展している有様です。

結局この同質圧力が革新の芽を摘み、低価格競争に走らせ、30年以上に渡る我が国のデフレを引き起こしている様な気がしてなりません。

平たく言えば上から下まで「右へ倣え」の「横並び」が革新の芽を後方同列に引き戻し、殆ど差のない似たり寄ったりの癖に誇大な宣伝文句が付いただけの商品を生む結果になっている様な。

消費者であると同時に生産者でもある我々は既に「舞台裏を知っている」ので他社のそういったまやかしを鼻から見抜いて信じず、うんざりしながら結局価格を選んでしまう訳です。

そして又消費者であると同時に生産者でもある我々は生産現場に於いては「横並びを重視」して、自らは革新の声をあげたりせずむしろ「皆と同じである事を優先」して異を唱えるよりも低いままの給与を貰い続ける安定性を選んでしまう。

この悪循環の元は何かと言えば最初に申し上げました「同調圧力」に他なりません。

他社が値上げしないなら当社も値上げしない。

他社が給与カットなら当社も倣う。

「赤信号、皆で渡れば怖くない」

反面、デフレ回避策として値上げ(=給与アップ)をしようにも一人負けするリスクを恐れて革新的なものを他に先んじて出す意欲に欠けるので他社比較が出来る物ばかりを作り出し、結果デフレ解決の重要手段である「全く新しい値立て」も立てる事が出来ない。

「赤信号、一人、先にはご勘弁」

ではこういった同調圧力がどこからやってくるのか?

どうやらお上のせいとばかりは言えない気がしております。 

2021/11/25-2

(うときゅういっきの「これから」 恐ろしい危惧 )前記事書き直し版

白内障になってそれが天然由来か人工由来かに拘わらず外光そのものが一律にまぶしかったり、乱視気味になって物が正確に識別できなくなったりする等、活動が大幅に制限されて不自由極まりない生活を送る羽目になりました。

しかしその中で気づかされた事が幾つか御座いました。

一つは今まで思いつきざま吐き出す様に書いていましたが、それが出来なくなったので考えを頭の中に寝かせておく時間が増えた事。

今一つは、書く時間より人、特に従業員達と話す時間が増えた事。

そして三つ目は、目の保護を優先させる為に人とは違った振る舞いをせざるを得なくなった事です。

一番目と二番目については「書け」なくなった事で、その前段の観察時間と思考の溜め置き時間が増え、書く前に行う会話時点でのコミュニケーションレベル(少なくともこちら側からの伝達内容パフォーマンス)が格段に上がるという副産物を産み出しました。

平たく申し上げますと内容の「発酵濃密」と「日本人らしく複雑に化粧する」前のスッピン状態の「風通しの良さ」が同時に手に入った様なものでした。

しかし以下申し上げます三番目の事に関しましては、ある種の疑念と強い不快感を抱く結果となっております。

一例としてバスの中での体験をお話し申し上げます。

以前からバスに乗ると、その人がした事がおかしな事なのか真っ当な事なのか、と言う事は全くどうでも良く、単に他の乗客と違った事をしているというだけで周りが白い目を向ける傾向を感じておりました。

例えば自分を例に取れば、今コロナ禍で、車内に乗客が多いとみれば窓を開けたり、身体の使いすぎで腰が痛ければ楽な姿勢で座ったりする様な場合でも、それらの視線を感じた事がありました。

今回もバスに乗り窓際に座ると、横からの日差しがまぶしくて仕方ないので、即席の日よけとして拡げた掌で目に光が入りにくくしたのですが、その動作に「無言のクレームがついた」のです。

これが自意識過剰によるものであれば自分の自意識を修正すればいいだけの話なのですが、以前からの経験則でそれが客観的に見て自意識過剰の産物ではないことが直ぐ様見て取れました。

その無言のクレームとは

「我々と違う」

と言う上述の表現より遙かに強力な「縛り」である

「我々と同じ事をしていない」

という非難でした。

目立つ行為をガサゴソする等以ての他。

目立たぬようにきちんと座り、身動き一つしないのが我が国国民として当たり前の所作。

それを粛々としている「我々」と「同じでない」とは不届き千万。

将に「強烈な同調圧力」

「是では後代が育つ筈がない」

咄嗟に感じた、

我が国の未来に対する

「恐ろしい危惧」

でした。

後記)

画面凝視時間を短くしようとして書いても、後で納得がいかなくなり結局は書き直し。

他にも日々目通しすべき事務書類がワンサカ。

結果、全て元の木阿弥。

何をやっているのやら

2021/11/21

(うときゅういっきの「これから」 お知らせ)

白内障がかなり進行している中、コロナ感染第6波襲来予測前の駆け込み需要で眼科がパンク状態になっており、術前検査でさえ来年1月がやっとという状況になっております。

つきましてはこれ以上の悪化を防ぐためと目の保護のため、暫く休筆乃至は間隔をかなりあけての投稿となります。

決して絶筆したわけでは御座いませんので、復帰の際は又宜しくお願い申し上げます。

うときゅういっき