2022/10/9

(うとQ世話し 10/13 発売 新刊本「前座の英語」 第10集のご案内)

題名

辞書を置かない考える英語教室「前座の英語」第10

Pre & prep. English 10

料購読キャンペーン期間は10/1510/19(終了後は定価200円)

amazon kindleコーナーうときゅういっきで検索。右上のプルダウンで「出版が新しい順」にすると先頭に出てきます)

海外赴任、留学、英語学校経験はゼロでしたが、定年退職後に言葉抜きで「ものすごっくいい奴」な在日外国人と友達になったことから、より仲良くなるために英語を学ぼうと思いまいました。

ところで辞書を置かない英語教室「前座の英語」の前回のポスターに以下の紹介文

 「●まず、日本語の特殊性を心から理解することが

   英語を話せるようになれる第一歩の様な気がして

   おります (何の事はない「灯台下暗し」)

    ●英語が日本語同様、微に入り際にわたって厳密に 

   一対一の適格適語な訳語で組立てられていると

   無意識に思い込んでいるから英語がわからない様な」

を書いておりましてふと思いついたことがございました。

それは

外国人が日本語習うのは「簡単から難しいへ向かうので大変だろう。しかし日本人が英語を学ぶのは極めて難しい日本語から極めてラフな英語に向かうので楽ちんだろうに。なのに「わからない。喋れない」といっている。

何故か?

それは英語学習においては踵を返して反対に簡単な方に歩き出せばいいのに、踵を返さずに更に難しい方に足を踏み出す(何の疑いもなく視界がそちらの方に向いてしまう)からだろう。進む方向、目をむける方向がまるで反対。これじゃ無理というものだ。

いくら進んでも、いくら探してもたどり着くわけもないし、見つかる訳もない。

だって反対に進んでいるんだから。逆に目を向けているんだから。

と。

語学習においては直上述のこの手の「エイやっ」が必要に思われます。

われわれ日本人はともすると「発言に対して」縦横斜め全てに矛盾なきよう整合性を確認し、しかもその発言が100%大丈夫だと保証されない限り言葉を発しないようなところがありますが、それではいつまでたっても英会話は無理だろうなぁと思っております。

早いところさっさと「清水の舞台からエイやっと飛び降りなされた方がいい」と思います。